日本初の自閉症スペクトラム障害児の家族を支援するためのNPO法人「自閉症家族会」の創設メンバー。
様々なチャリティイベント、「Run for the Cure」(乳がんの早期発見、啓発活動)、「TELL」(英語でのメンタルサポート団体)、
「Shine on Kids」(がんや他の侵襲性疾患と闘う子供たちへの支援団体)などを含む慈善団体に協賛。
「自閉症家族会」を創設。
世界のカラブリア大使(コンスルトーレ)をカラブリア州知事より任命される
日本は間違いなく様々な業界において世界のリーダーですが、食品の生産に関してはどうでしょうか。私にたくさんの恩恵を与えてくれたこのすばらしい国に、何かお返ししたいと切望してきました。そこで、私のルーツの核心的な部分であるすべての食に関するノウハウと技術を、日本の若い世代に教えることにしました。
エリオ・オルサーラは1966年10月25日、南イタリアの絵のように美しいチェトラーロという町に生まれました。この町はイタリア半島の南、“つま先”部分に当たるカラブリア州にあります。
エリオは10代の時に、カラブリアの5つ星ホテル「グランド ホテル サンミケーレ」で初めての仕事をしました。さらにミラノとロンドンで研鑽を積み、その後スペインで初めて自分のレストランを開く頃には「アメリカンドリーム」を夢見ていました。アメリカではまず、プリンセス・クルーズ「ラブ ボート」という船のスタッフとなり、料理とマネージメントを多岐に渡り学びました。さらなる経験と知識を積みたいと、船を下りてからはロサンゼルスのいくつかのイタリアレストランで働きました。しかしどこのレストランでも、エリオが探し求めていた雰囲気やチャレンジが実現できるところはありませんでした。常に新しい機会を探して、次は北イタリアでハイエンドなゴルフ場の仕事に就きました。再び祖国に戻ったエリオに、そのプレミアムなゴルフ場で「La Forza del Destino」運命の力が動きました。ゴルフを愛する、ある日本人と出会ったのです。この人は、日本の大手スーパーマーケットを経営し、ホテルやレストラン業にも携わる会社「ダイエー」の社長だとわかり・・・あとは言うまでもありません。いざ、日本へ!
ダイエーグループの「新神戸オリエンタルホテル」でイタリアンレストランのスーパーバイザーとして勤めはじめると、エリオはたちまち日本のとりこになっていきました。彼の持つ冒険心は、言葉と文化の壁を乗り越えることに大いに役立ちました。休日になると日本の伝統文化を求めて、古都京都を訪ねました。懐石料理の店では、エリオの向学心に火がつきました。日本人の静かなお辞儀、優しく綺麗な笑顔、優雅な立ち振る舞い。日本語がわからなくても、エリオは日本のおもてなしに強く感銘を受けました。こうしたことをきっかけに日本への関心はさらに深くなり、エリオは続けてダイエーの別のレストランをプロデュースしました。そしてついに、運命はエリオを東京に誘います。麴町にレストランをオープンすると、我が家に帰るように来店する常連さん、熱狂的に支持してくださるお客様が次第に増えてゆき、今ではこのお客様の多くは大切な友人になっています。