日本で起業して30年余りのアントレプレナーであり、イタリア料理とワイン文化のプロモーション活動、慈善活動も行う
1966年10月25日 イタリアのチェトラーロ(カラブリア州、コゼンツァ県)生まれ
彼が日本で長年培ってきたスキルやビジネスを鋭く見据える力は、時として訪れる困難な時期に何度も発揮されてきた。例えば、東日本大震災やコロナ禍においても・・・
” 私は自分の次男にアレルギーがあること知った時に、自分の家族や友達、そしてお客様に対しても私が提供するものは、産地直送の食材、ナチュラルなもの、本物の食材を揃える事に人生を捧げようと決意しました。 そこで、私は数年前からオーガニック農園を始め、チーズ工場とサラミ工場を作り、さらには漁船も手に入れました。私がラッキーだと思っている事のひとつに自分の故郷がイタリアだということがありますが、そのイタリアに限りなく近い環境を、この日本の地に再現したいと心から願っています。また、放射性物質を含まない食材を求めて、北海道や九州から買い付けたり、また自ら生産するなどしてきました。”
Elio Orsara
Elio Orsara
エリオ・オルサーラは1966年10月25日、南イタリアの絵のように美しいチェトラーロという町に生まれました。この町はイタリア半島の南、“つま先”部分に当たるカラブリア州にあります。 エリオは10代の時に、カラブリアの5つ星ホテル「グランド ホテル サンミケーレ」で初めての仕事をしました。さらにミラノとロンドンで研鑽を積み、その後スペインで初めて自分のレストランを開く頃には「アメリカンドリーム」を夢見ていました。アメリカではまず、プリンセス・クルーズ「ラブ ボート」という船のスタッフとなり、料理とマネージメントを多岐に渡り学びました。さらなる経験と知識を積みたいと、船を下りてからはロサンゼルスのいくつかのイタリアレストランで働きました。しかしどこのレストランでも、エリオが探し求めていた雰囲気やチャレンジが実現できるところはありませんでした。常に新しい機会を探して、次は北イタリアでハイエンドなゴルフ場の仕事に就きました。再び祖国に戻ったエリオに、そのプレミアムなゴルフ場で「La Forza del Destino」運命の力が動きました。ゴルフを愛する、ある日本人と出会ったのです。この人は、日本の大手スーパーマーケットを経営し、ホテルやレストラン業にも携わる会社「ダイエー」の社長だとわかり・・・あとは言うまでもありません。いざ、日本へ! ダイエーグループの「新神戸オリエンタルホテル」でイタリアンレストランのスーパーバイザーとして勤めはじめると、エリオはたちまち日本のとりこになっていきました。彼の持つ冒険心は、言葉と文化の壁を乗り越えることに大いに役立ちました。休日になると日本の伝統文化を求めて、古都京都を訪ねました。懐石料理の店では、エリオの向学心に火がつきました。日本人の静かなお辞儀、優しく綺麗な笑顔、優雅な立ち振る舞い。日本語がわからなくても、エリオは日本のおもてなしに強く感銘を受けました。こうしたことをきっかけに日本への関心はさらに深くなり、エリオは続けてダイエーの別のレストランをプロデュースしました。そしてついに、運命はエリオを東京に誘います。麴町にレストランをオープンすると、我が家に帰るように来店する常連さん、熱狂的に支持してくださるお客様が次第に増えてゆき、今ではこのお客様の多くは大切な友人になっています。
慈善活動
2002 年~現在
自閉症スペクトラム障害のため基金を創設
日本初の自閉症スペクトラム障害児の家族を支援するためのNPO法人「自閉症家族会」の創設メンバー。
2013年
チェトラーロ・バレーボール・アカデミーを創設
2011年3月
東日本大震災の被災地にてボランティア活動
2004年~2006年~現在
様々なチャリティイベント、「Run for the Cure」(乳がんの早期発見、啓発活動)、「TELL」(英語でのメンタルサポート団体)、
「Shine on Kids」(がんや他の侵襲性疾患と闘う子供たちへの支援団体)などを含む慈善団体に協賛。 「自閉症家族会」を創設。
表彰、受賞歴
2019 年
コンメンダトーレ(Commendatore)
2012 年
ウッフィチャーレ(Ufficiale)
2006 年
カヴァリエーレ(Cavaliere)
2018年
カラブリア州政府
世界のカラブリア大使(コンスルトーレ)をカラブリア州知事より任命される
2009年
「価値の創造」ジャパン アワード
エリオ・ロカンダがミラノ経済連合とイタリア・日本財団から表彰
1998年
イタリア政府公認イタリアンレストラン
ローマにてオスカー・ルイジ・スカルファノ大統領(当時)より受賞
新プロジェクト ― 北海道オーガニックファームビレッジ
日本は間違いなく様々な業界において世界のリーダーですが、食品の生産に関してはどうでしょうか。私にたくさんの恩恵を与えてくれたこのすばらしい国に、何かお返ししたいと切望してきました。そこで、私のルーツの核心的な部分であるすべての食に関するノウハウと技術を、日本の若い世代に教えることにしました。